8.29.2016

ソルフェージュのやり方


先生に教えてもらうための時間とお金と入塾拒否されない外見がないため、ソルフェージュを独学でやるほかない。しかし、基礎知識もノウハウもないから"How to learn"の部分もわからない、が、いろいろな聞きかじりを総合すると概ねこんなところだろう、と、ひねり出してみた。
  1. 声を出さずに読む。頭の中で歌う
  2. 音程・音名を無視してリズムだけ再現する
  3. 音程は付けず、音名(ドレミ)は付けて口に出す
  4. 音程を付けて音名で歌う(ドレミ♪)
  5. 音列を聞いて音程を推定する or 五線譜に書き取る
1は、これができれば苦労しないよ、という最終的且つ包括的な読譜力。読譜力が最終段階まで仕上がった人は、あらかじめチラッと楽譜に目を通せばスクリャービンだとかブラームスだとかハンマークラヴィーアを初見で弾いてしまうらしい。また、この能力が超人レベルまで仕上がった人が、指揮者である。そういったレベルまでは望まないが「楽譜が読めないから鍵盤位置をヨタヨタと解読して繰り返し繰り返し鍵盤を押さえて出てきた音で曲調をつかんでから指にしみこませる」という現在のやり方からは脱したい。楽譜は音楽が書いてあるもので、鍵盤位置を示す暗号表ではない。楽譜から直接音楽を読めるようになりたい。


2は音符の長さ、休符の長さ、リズム感を脳に植え付ける作業。「音の長さはよく見ればわかるよ…どれどれ…ええっと…これは四分音符二つ分かな…っと…はい!読めた!」という状態ではダメで「パッと見てパッと脊髄反射する」状態を目指す練習。見落とされがちだが、実は重要らしい。これをやる際は、音の高低もドレミもつけなくてよい、つけないほうがよい、とされる。例:たー、たー、うん(休符)、うん、たーたた、たーたー


3は音符を音名(ドレミ)で読むが、音程(音の高低)は絶対につけずにやりたまえ、可能ならスピードを上げてやりたまえ、と子供のためのソルフェージュ(1a)の冒頭解説に書いてあった。音符を音名で読み取る速度を高める訓練と思われる。リズムは楽譜通りに、音名(ドレミ)を高低付けずに棒読みする。高低をつけて歌おうとすると、瞬読性とは違った感覚が混じるため、あえて独立して行うべきなのだろう。やってみると、通常の読譜とは脳の作業領域が違い、独立して行うべきと書いてある意味がなんとなく分かる。


4はソルフェージュと聞いて想像する標準的なものだろう。23で独立して練習した下書きに音程という色を塗る感じだろうか?そもそも、ソルフェージュはなぜ音符にドレミと名付けてその名前を口に出して練習すべきなのか、という疑問があるが、脳の言語野と結びつけることで総合理解が深まる、という理屈なのだろうか?リンゴという言葉を認知した瞬間に味と香りと歯ざわりと色と形の統合されたイメージがパッと頭に浮かぶが、それと同じ現象を起こさせるためだろうか?


5は聴音。独学だとやりにくいところ。ソルフェージュ教室だと先生が音列を弾いて、それを生徒が書き取ったり歌ったりする。先生の代役として電子ピアノの録音機能を利用する。ソルフェージュ練が軌道に乗り長期本格運用できる状態になれば大量に音列をストック、ランダム再生できるスマホやiPodが便利かもしれない。五線譜はエクセルで自作するなり、ネットに転がっている五線譜PDFを印刷。会社のプリンタをこっそり使えばタダで調達でk(略)、というか、コソコソするより買ったほうが安いかもしれぬが…。


5項目以外にも、ピアノであれば鍵盤の位置、ギターであればフレットの位置、フルートであれば手の形などの脳内イメージと、音符との脳内リンクを強化するとより効果的だろう。歌を歌う人が顔の前に手を持ってきて何やら音程に合わせて動かしているのを見るが、音とリンクされた手のイメージがあるとそのように手を動かすことが演奏に有効である、という説がある。手の形、言語、視覚イメージ(その他利用可能なものはなんでも)等、いろいろな要素を強引にでも脳内で結び付けると有効と思われる。
また、和声(和音)を並行してやるとよりよい、と書いてあるのでそれも細々とやるべきだろう(が、和声はまだ難易度が高い…)


他に足りていない項目はたくさんあるだろうが、上記の項目だけでもボリュームとしては過剰と言えるほど。4小節とか8小節の単純に見える音列でも上記項目をみっちりやったら脳が疲れて霧がかかったようになって大変である。みっちりやったなら、最も初歩的な本の、序盤の半ページでさえ脳がグロッキーになるので、一日に半ページずつ頑張って1冊通すのに何年もかけるより、適時手を抜いてさっさと1周回して全体像を把握し、長期トレーニングの見通しを得るほうがよさそう。
日々ソルフェージュ本を開くまでに、ちょっとかったるいというか、作業感があるというか、気が重いというような、ネガティブな感覚もあるが、未知の領域を開拓していくやりがいのような面白さというか、手付かずの広大な原野に、自分が歩いたところに少しずつ獣道ができるのではという期待感というか、そういうやりがいはある。
なんであれ、いい年こいてからのソルフェージュは気が遠くなるような反復を要するだろう。






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8.24.2016

基礎が大切?(ソルフェージュ)


ピアノ練の不調の原因、すなわち、どうして私は音楽がさっぱりわからないのか、楽譜と音が有機的にリンクしないのか、音楽にならずに「指の体操」なのか、というところを探っていたところ、いつの間にか横道にそれて人生の不調を掘り当ててしまい、右往左往しながらLangkawi DNS以降を過ごしてきた気がする。人生の不調を自らの心の中で強調するにしたがって「そもそも電子ピアノは楽器じゃない、本物の楽器を持てない環境が悪い、ベーゼンドルファーがないのが悪い、社会が悪い、政治が悪い、国が悪い、ポルシェで気分転換できないのが悪い」などと機材に文句を垂れたり、国に責任転嫁して現世を恨む始末であった。

しかしながら、自転車で考えたとき、頑張ってもAve.22km/hでしか走れない人が「Cervélo P5を持ってないから速くならないんだ」と言い出したり、果ては「自宅に風洞実験トンネルがないから速くならないんだ」と言っているようなものではないか、自宅に風洞トンネルを欲しがる前にもっとやれることが残っているのではないか、と思うようになった。

My防音室にMyベーゼンドルファーがないから音楽が理解できないのじゃなくて「音楽の基礎が存在しないから音楽がわからない」というシンプルな現状を把握した。同時に音楽の基礎をつけるには、基礎をつける作業をするほかない、というシンプルだが「通りたくない道」も見えた。音楽の基礎をつけるには、基礎をつける作業だけが必要で、ベーゼンドルファーやポルシェは無関係だ、と思えるようになった。ピアノは単独で使える和音楽器で便利な手段ではあるが目的ではない、目的は「音楽」であって「ピアノそのもの」ではない、と考えるようになった。


というわけで、ケチ生活中ではあるが、音楽の基礎となるだろう本を2冊買った。久しぶりの買い物だった。
  1. 子供のためのソルフェージュ (1a)
  2. きらきらピアノ こどものピアノ名曲集1


1冊目はソルフェージュ本。ソルフェージュは楽器以前の、音楽の一番の基礎となるものでギターを弾く人も歌を歌う人もピアノを弾く人もマリンバを弾く人も全員がここからスタートするものである、と今更ながらに知ったので、まずはそこから。単純な楽譜を歌ったり、目視して脳内で音を鳴らしたり、音を聞いて脳内で楽譜を描いたり、脳内楽譜を歌ったりして、音と楽譜と音程(ドとミはドとレに比べてどのくらい離れているか等)とリズムを脳に叩き込むための本で、初歩の初歩である1巻というか1a巻。大変に古くからある本で、今の老人が「ギブミーチョコレート!!」などと叫んで進駐軍のジープを追っかけていたころから存在している名著。解説や文字はほとんどなく、ひたすら音列が並んでいて学習ドリル風。ソルフェージュから離れて数十年という人が、ふとした瞬間に口に出てくるのが大昔にやったソルフェージュの音列だったりするようで、チラッと通読するのじゃなくて体に染みつかせるまで反復練習をするのが正しい使い方である様子。
ソルフェージュの最終形は楽譜を見ると脳内でスラスラと音楽が鳴る状態であろうか?最終段階まで読譜力が仕上がった人は平均律を初見でさらっと弾いてしまう、という説を2ちゃんねるで見た。本当かどうかは知らない。

2冊目はこども向けピアノ曲集。「いい年こいたおじさんが、がきんちょ向けなんてやってられるかよwww」と書店では無視する書棚にあるタイプの本である。しかし、人様のブログを見ていたら大人向けピアノ教室でも一番最初にこれをやらされる、と書いてあったのでぼくちゃんもマネをして。
この本で指の体操力を磨くのではなく、楽譜と音と楽器の脳内リンクを強化するための、楽譜を見て脳で音が鳴るようにしていくための素材、という位置づけ。ダンス暗譜で音楽を覚えてから楽譜を読むのじゃなくて、まずは可能な限り楽譜だけを読んで脳内で音楽を形作ってから実際に鍵盤で楽譜を再現・答え合わせをしていく、という手順でやりたい。
こども向けの一番やさしいものであるが、現状では楽譜を見ても脳内で音が再生されない。単メロディはぼんやりと脳内再生されるが、副メロディ・和音になると壊滅である。基礎が全く欠けている証拠である。


どちらの本も算数で言えば足し算や九九といったものであろう。「いい年こいたおじさんが、がきんちょみたいなことやってられるかよwww」と言いたくなる基礎的な部類であるが、基礎がないのだからここから始めるのが本来である。音楽は儒教ではないのだから、いい年こくだけで偉くなるわけではない。基礎がないものは基礎がない、ゼロはゼロ、無能は無能、教室に通って半ヵ月の鼻を垂らしたがきんちょ以下、いや、老いてるだけハンディキャップ、と認めねばならない。足し算や九九が体に染みついているのといないのでは雲泥の差があるのと同じであろう。基礎をやらねば基礎はつかない。ベーゼンドルファーを買っても基礎はつかない。Invention & Sinfoniaを弾いても基礎はつかない。

本は楽器店で買った。うさぎ夫妻が描かれたほのぼのとした表紙の本であった。年齢的に、こどものために買いに来たお父さんと思われたことは必至であるが、いい年こいたおじさんがおじさんのために買ったものであって、つらい…。




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8.16.2016

ソルフェージュはじめ


謎の体調不良が回復せず、トライアスロンから遠ざかってしまい、直ちにはこの世から去りたくない理由の大きな大きな一つが潰えてしまった、と感じながらも、もう一つの大きな理由であるところのピアノ練に支えられてきましたが、それもここにきて不調です。
ピアノ練というかバッハを弾いて人生を過ごしたいと願いながら20年たちました。なかなか軌道に乗らずに20年たち、この1年くらいでようやく軌道に乗り始めたと思ったのですが…現在は、不調です。
昨年来から1日に2時間の練習をしていました。しかしながら、いろいろな理由で―以前に書いたように、飲まず食わずで給料を貯金したとしても、風光明美なところに防音室住宅を建てて暮らす…という生活が、数字の上で否定されたこと、もはや夢も希望もないじゃないか!夢も希望も時間もなく布団と会社を往復してクレーマーにサンドバッグにされる生活がこれからも続くのか!と失望したこと、理論暗譜の道が全く進まず、ダンス暗譜一辺倒なこと、音楽ではなく指の体操に過ぎず音楽的理解が皆無なことのむなしさなど―不調に陥って練習時間は7割減となりました…。
不調に陥る過程で、下記の通り譜読み終了曲は増えました。曲は増えましたが練習量が減ったので1曲あたりの練習時間が希釈されて全体のクオリティは下がりました。そもそも素養がないから、楽譜と音楽と鍵盤の有機的なつながりもなく、指の体操にすぎなかっただけに練習時間が減れば当然、ヨタヨタしていくばかりです。

紆余曲折の末の、万感こみ上げる、あの、フィニッシュラインまでのラスト100メートルのような、美しきゴルトベルク第30変奏から締めの天上的アリアへつながりが自分で弾けるようになったことの喜びというものがあってしかるべきでしたが、音楽的素養が皆無なため台無しです。
そうして不調になりました。音楽的素養を付けるために「理論暗譜」や「和声学」に手を出しては収穫なく沈没してきました。この先の人生のためには、どちらかと言えば指の練習よりも音楽的素養を付けることのほうが重要なので「ソルフェージュ」に手を出してみました。ソルフェージュは先生に教えてもらうのが良いとは思うのですが、時間的制約から独学にならざるを得ず、また、経済的制約から書籍などを買えず、とりあえず洗足音大のオンライン講座(とても充実しています)で初歩の初歩をしています。同じく洗足音大の譜読大王もとても有用です。加えてAndroidアプリの楽典ウォーズ3Dまであります。これらを無料で提供している洗足音大は"ネ申"です。足を向けて寝ることはできません…。
ソルフェージュは現在のところクイズのようで楽しくできています。再生されるメロディを譜面に書いてみて当たった外れたと一喜一憂—初歩の初歩でも正解することは稀です—するだけでなく、音名(ど~み~そ~♪)で実際に歌うなど、音と、鍵盤と、楽譜と、音名と、音程の脳内結びつきを強めるよう心がけています。
すると、例えばハ長調の単旋律であればメロディ終結は不思議な引力でメロディラインが「ド」に吸い寄せられるような、「ド」に吸い寄せられるにしたがって終結感が生まれる、という「暗黙の了解」が体感でわかるようになってきました。
と局所的部分的な向上はあったとはいえ、ドとソの5度の関係がトニカとドミナントで本妻と愛人の関係だとされる、という、この最も基本的な感覚すら今なおさっぱりわからないのです。
かつて「君のような非モテ・非コミュにはわからぬことかもしれぬがね……あまり大きな声でいうものではないがね、君、確かに私には家庭の外にも(女は)いる。しかしね、やっぱり本妻が一番なのだよ、最後は本妻に戻っていくものなんだよ。」と、ある人が焼貝を食べながら言っていました。音楽のことも、人と人の関係のことも、分かる人には説明する必要もなく自明なことでしょうが、私のような埒外な人間にはアラビア語のように難しいものです。が、ソルフェージュを続けていけば、いつかは…きっと…そのような…音と音の関係性の理解に…通じていくのだろう…と願って今日もソルフェージュをしています…。

人様のブログなどを見ると、ソルフェージュは長期の継続を要求するようです。スクリャービンやプロコフィエフを弾いてしまうような人—クラシックピアノ演奏というカテゴリで はソルフェージュというか和声というかコード進行というか、その方面の能力が演奏能力に比べて著しく欠けている人がいる、というか、クラシックピアノ演奏には必須スキルでない、クラシックピアノ演奏は楽器全体で見れば異端な部類だ、という説もあります。ジャズやら各種合奏(バンド)では必須かつ主要スキルとされます—が「ソルフェージュが全然できないから、先生についてゼロから習い始めて2年。少し上達を感じるようになりました」と書いていました…。ちなみにその人は音大出身で、その人がいう「ゼロ」を文字通りのゼロと解釈してはいけません。マラソンSub3達成者が「全然走れないからゼロから見直す」と言い出して2年間の基礎練をして「ようやく走れるようになってきた。」と言っているようなものですから。



現状
  1. Invention No.1
  2. Invention No.2
  3. Invention No.11
  4. Sinfonia No.4
  5. Sinfonia No.11
  6. ゴルトベルク アリア
  7. 平均律I No.1 Prelude
  8. 平均律I No.1 Fuga
  9. Sinfonia No.2
  10. Sinfonia No.1
  11. ゴルトベルク 30
  12. Sinfonia No.3←譜読み中…






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8.15.2016

私の7つの投資ルール


金融脳となってからいろいろな金融商品を買い散らかして、2015チャイナ・ショックからBrexitまでの乱高下で痛い思いをしました。痛い思い(お金を失うこと)を通じて方針といいますか、ルールの大切さを学びました。「もうかったらいいな、もうかるにちがいない、もうかったら札束風呂に入っちゃおう、CaymanMacanも両方買っちゃうぞ」という願望に基づいて買い散らかしても、短期的にまぐれ当たりをすることはありましょうが、長期的にはターゲットに近づきません。そもそも、ターゲットを設定していないのですから近づきようがありません。なんのためにやっているのか意味付けされないままあちらもこちらも買い散らかして、乱高下に巻き込まれてあちらもこちらも暴落して精神的に動揺。「もういや…」と嫌気。そしてすっきりさっぱりするために手仕舞いをして市場から退場。装備も情報も戦略もなく、バンザイ突撃をして即死。これではいけないと、痛い思いをして知ったのでした…。
まずターゲットがどこにあるのかというところから自問(これが難問。ライフスタイルの根本を見つめる作業。参考記事)を始め、数ヶ月かかりましたが、ターゲットと、その達成のための自分なりのルールが固まってきました。それはおおまかに、シーゲル先生が提唱するディフェンシブ配当再投資の「シーゲル流」に属するようです(先生の本は読んだことがありませんが…)
  1. 10年か20年後の、給料以外のインカムの増大がターゲット
  2. 主観・感情の排除のため、タイミング投資(おっ!この値動きは!チャンスだ!今だ!えいやっ!と売買すること)を避ける
  3. 相場や為替がどうであれ、毎月15日と30日に一定額(+配当金)を購入する。安いと思ってもルール以上は買わない、高いと思ってもルール通りに買う
  4. グロースを避け、バリューorディフェンシブを選好*
  5. 個別銘柄を避け、ETFを選好
  6. 売ったら買わない、買ったら売らない、売るものは買わない
  7. ターゲット達成に寄与するならルールは無視する
*グロースとはアリババ、Facebook、Amazon、テスラモーターズのような、高成長で輝かしい未来を感じさせるキラキラした昇り龍企業群のことです。
一方バリューは成熟したベテラン企業群です。食品、飲料、洗剤、酒タバコ、ヘルスケア、電力、通信のような生活に密着して欠かせず、不景気でも消費量があまり減らない業種がディフェンシブです。
マイクロソフトやアップルは、ひと昔前まではグロースの代表格でしたが、提供する商品が成熟し、インフラ化し、バリューへと変化してきています。マイクロソフトやアップルの成熟に至る過程で、競争に破れ去った無数のグロースが存在します。

このルールを採用すると、恐慌やリセッションによる株価の下落は、すでに買ったものは含み損に沈みますが、これから買う分にはバーゲン価格と言えます。下落時にもルール通り一定額を買うため、平時よりもたくさんの株数が得られるからです。ターゲットは10年か20年後のインカムの増大ですから、評価額よりも株数のほうが重要な数字だ、と思えるため、精神的に動揺せずに済み、バンザイ突撃で玉砕して市場から退場せずに済む、と考えています。
ただし、このルール採用には一つおおきな前提があります。それは「プラスサムであること」という前提です。経済(といいますか、S&P 500などの指数)は長期的には右肩あがりで、恐慌やリセッションがあってもそれは一時的な調整に過ぎず、それらを乗り越え再びもとの右肩上がりの成長軌道へ戻るという前提です。バブル以降の失われた20年、人口減、ゼロ成長、ゼロ金利、デフレ、少子高齢などの衰退フェイズにある我が国では「プラスサム」は夢物語———我が国はゼロサムどころかマイナスサムすらささやかれています———に見えますが、それは地球全体からみると特殊な例でしょう。そうした特殊例を排除すれば「プラスサム」を期待してよいと考えています。この「プラスサム」が将来も続くという前提は、根拠はなく「信心」に近いものです。

私個人は、現在の資本主義といいますか、消費社会といいますか、世界全体の秩序は病んでいる、こんな世界は長続きしない、破滅する、と感じていますが、60年前の「巨人と玩具」という映画で、キャラメルメーカーの社畜のおじさんが同じように資本主義の終焉だとか、人類は不幸だとか、矛盾を隠蔽するのはもはや限界だとか、消費社会の虚しさだとか、ありもしないイメージ宣伝でキャラメルをがきんちょに売りつける非人間性がどうしたとか、こんな社会は永続しない、物質があふれても心は貧しくなるばかりだとか、こんな世界は許されないから破滅しなければならないとかなんとかさんざんに愚痴っていました。60年後の現在もコピペでもしたかのように似たような愚痴を人間は繰り返しています。そのあいだに、破滅するどころか、人類は強烈なプラスサムを得ました。
世界が病んでいて破滅は避けられない、と思うとき、大抵の場合は、そう思う人が病んでいるのです。楽観的情報は無視して悲観的情報は針小棒大にしたがる認知の歪んだ人なのです。病んでいるのはキャラメルメーカーの社畜であり、私であって、世界ではないのです。仮に多くの人が、世界は病んでいると考えるようになった場合、世界は病死や破滅に向かうのではなく、これまでもそうだったように、これからも多くの人によって修正され、よりよい世界となるでしょう。
60年前、人はハエ取り紙を吊るしたバラックに住んで腹にサナダムシを飼っていました。今では冷房の効いた清潔な部屋でダイアナ・クラールをBGMにローストビーフを食べています。先進国の物質文明はすでに十分に発展しました。先進国についてはこれから成長速度は遅くなるでしょう。しかし、先進国以外を見れば、今もバラックに住んでいる人がたくさんいます。これから冷房の効いた部屋に住みたい人がたくさんいます。地球全体ではプラスサムの流れは止まらないでしょう。ある種の人が資本主義の不毛を感じて熱心に世界の破滅を祈ったとしても、プラスサムは止められないでしょう。その流れでグローバル企業は恩恵を受けるでしょう、というのが、さきほどのプラスサムは将来も続くという「信心」です。しかしそれもインカム増大ターゲットという願望で歪んだ認知によってもたらされたにすぎず、根拠はありません。明日、誰かの願いがかなって、人類は滅亡するかもしれません。







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8.12.2016

いかにして拝金主義へ至ったか

自称・ポルシェ貯金を開始してから半年以上経ち、もう少しで1年となろうとしています。ポルシェゆえに多額なものとなるので、ちょっと節約をすればよいというものではありません。人生を削るような、シビアなケチ生活となりました。
カネにシビアになって現在の出費、予想される出費、予想される収入、物欲出費に対する満足感リターンなどを算出をしているうちに、ポルシェというよりも、余命全体の生活について考えることが多くなりました。どこで、だれと、どういう住宅で、どんな生活スタイルで余生を過ごしたいのか?というような…。
そう思ったとき、実現性を無視してパッと頭に浮かんだのは…
  1. 石垣島の、市街から外れたところ
  2. ひとりで
  3. 広めの土地に戸建て
  4. 無職で質素な生活
  5. 朝と晩にピアノを弾く
  6. できれば防音室で本物のピアノ
  7. クルマは最安のアルトバン、自転車は5万円のMTB
ということでした。同時に、「東京で美人妻とタワマンに住んで、ゴールドマン・サックスで働き、ワインと牛肉とオーガニック野菜をたしなみ、週末は観劇かテニスをし、AUDIのSUVに乗り、バーベキューをしたことをFacebookで友達に報告する」という生活には興味がないことを知りました。
実現性を無視して思い浮かべたものに、ポルシェがありませんでした。ポルシェは本質ではなかったのでした。「風光明美なところ(石垣島に限らず)で静かにピアノを弾いて過ごしたい(今の生活から逃げ出したい)」ということが私の本心だったと気づきました。
「ポルシェほしい」と言いました。しかしそれは「風光明美なところでひっそりと暮らしたい」という経済的に不可能なことへの、代替・隠蔽・言い換え・逃避として「ポルシェほしい」と言ったのでした。無能の安月給で経済的に不可能だ、という厳しい現実からの逃避手段としての、覚醒剤やヘロインの亜種としての、合法のポルシェでした。派手にポルシェを掲げて不都合な現実を隠す。自分自身へのめくらましでした。ポルシェは高額ですが、車種、オプション、年式次第で、実現不可能なほどに高額ではありません。現に、今すぐにでも、武富士の担当者に土下座をするなどの無理をすればポルシェを買えると思います。しかし、ALTOに乗り換えました。ポルシェは心の底から望んでいたものではなかったのでした。

また「ひとりで」とも思いました。他者との関係がうまく築けないから、ということでしょうが、干渉されたくない(自分も他者に干渉したくない)ということなのだと思います。もう少し強い言葉を使えば支配されたくない、と言えそうです。自分も他者を支配したくありません。有形無形の、自覚or無自覚の支配行為をしたくありません。特に、無形で無自覚な支配はいやです。
なぜ他者と関係がうまく築けないのか。干渉や支配を嫌悪するのか。これはもう少し深堀りしていくと、自分の育成環境、親との関係、あるいは親が祖父母世代にどう育てられたか、アダルト・チルドレン等のネッチョリした場所に到達するでしょう。それらは、人格形成に不可逆的な影響を与えていて、深堀りして究明できたとしてもプラスには作用しないと思います。「ひとりでひっそりとくらしたい」と願うくらいには歪んだ人格形成がされた、確かに歪んではいるが、刑務所や精神病院にぶち込まれるほどには歪んでいないからセーフ、と認識するくらいにとどめておくべきでしょう。深堀りをし「真人間」に「矯正」すべく「努力」すると、かえって刑務所や精神病院に近づくでしょう。角を矯めると牛を殺します。

ポルシェは"代替・隠蔽・言い換え・逃避"だったこと、そして本願としての「ひっそりとした暮らし」を考えた時、従来のお金の使い方、生活スタイル、消費パターン、貯蓄パターンを計算していくと、悲観的な数字となりました。節約をして貯蓄性向を高める程度ではポルシェには届いても「ひっそりとした暮らし」には無意味です。無意味な節約を続けるとストレスなだけです。ストレスをためた上にカネが足りずひっそりと暮らせないならば、"代替・隠蔽・言い換え・逃避"としてさっさとポルシェを買って夜な夜な首都高を走って憂さを晴らしたほうがましに思えます。
余生は有限で、今後の給料袋をもらう回数は無限ではありません。限られた余生で限られた給料から限られた貯金をするだけではターゲットに届きません。そのような経緯から金融の力を借りたいと思うようになったのでした。金融の力がうまく働けば実現可能性が出てきます。質素な生活をひとり分ですからハードルも下がります。しかし、金融は失敗するものです。いや、きっと失敗するでしょう。それでもチャレンジをした結果ですから、それはそれでいいのです。買った銘柄がすべて倒産・デフォルトしてもゼロになるだけで、借金を抱えるわけではありません。失敗して万策尽きて本願達成が不可能となったとき、次善策として、ポルシェ貯金を再開すればよいのです。このようにして金融脳となったのでした…。




この世はカネがすべてです。





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8.08.2016

泣いてMini Convertibleを斬ったのでした…

Mini Convertible(R57)を売ってアルトの新古車を買った、と、前回書きました。念願のオープンカー、愛するMiniでしたから、いろいろと思うところはありました。簡単に言うと「乗る時間がないのに維持費がかかるのがいやだった」ということです。
志賀とか日光とか那須などをオープンにして乗り回せればMini Convertibleは楽しいものです。数年乗り続けるなら5000円コース、1万円コース、4万円コース、6万円コース、7万円コース、20万円コース、30万円コースの、ワイパーブレード交換から幌交換までのリフレシュor修繕費も支払う価値がありました。しかし、現実は厳しく、半年ほど遠乗りできずにいました。たまにむしゃくしゃしてさいたまで屋根を開ければ渋滞排ガス地獄で喉や気管が荒れて余計にむしゃくしゃしました。乗れないものに恋々してカネを捨てるなら、実際にカネをドブに捨てたほうがむしゃくしゃしない分だけ生産的と思いました。そして心の中の糸がプツンと切れて売却したのでした…。
売却した日にウチダオート(さいたま民によく知られた新古車ディーラー)に行き「おっちゃん、一番安い新古車ちょうだい」と言ってアルトを買いました。落ちぶれた感もなければ、わくわく感もありませんでした。ただの下駄という感覚でした。トイレットペーパーやゴム手袋を買っても特に感慨がないのと同じでしょうか。とはいえ、間違いなくクルマではあるのでクルマとしての個人的な評価をしておきます。
GOLF7、Miniと乗り継いでクルマに興味を持ち、多少詳しくなりました。クルマの評価点としては以下の6項目ほどでしょうか。1点から10点の10段階で評価してみました。

ALTO(2015, CVT)
  1. 価格、維持費--------10点
  2. 燃費---------------10点
  3. 安全性-------------1点
  4. 快適性-------------5点
  5. 楽しさ、スポーツ性----1点
  6. 気軽さ--------------10点
合計37点です。10点がたくさんありますが1点も複数あります。多くを犠牲にしてカネに特化した極端なクルマと言えるでしょう。カネという評価軸では日本で買えるものの中では首位ではないでしょうか。実燃費はアクアより少し劣る感じでエアコン使って街乗り18km、燃費走行街乗り20km超、遠乗り燃費走行で30km/Lでしょうか。猛烈な軽量化が行われてあちこちがペラペラなのに、快適性は思いのほか良いです。ウチダオートから帰る時、第一印象として「ちょwww快適www静かwwww」と笑ったのを覚えています(Miniはうるさくて足がガタガタしたクルマです。それが楽しいのですが)。ただし、快適なのはせいぜい60km/hまでです。
「気軽さ」というのは、泥道やら砂利道でも気兼ねなく走れる、とか、ドアパンチされてるけどまあいいか、とか、鳥のフンがくっついてるけどまあいいか、とか、洗車しなくてもかまわないか、とか、ちょっとこすっちゃったけどまあいいか、とか、カラスが乗って爪で屋根ひっかいてるけどまあいいか、とか、荷物が汚れてて荷室も汚れちゃったけどまあいいか、とか、内装のどこかがきしんで異音するけどまあいいか、とか、ジュースこぼれちゃったけどまあいいか、とか、ハナクソほじってでかいの取れたけど、指に残ってないな、落っことしちゃったみたいだけどまあいいか、とか、目的なく走って走行距離のびちゃってもまあいいか、とか、いちいち目くじらをたてないで済むような、そういう気軽さのことです。
逆に、ポルシェであれば、屋根にカラスが乗って塗装に爪痕が残ったら、ショックで夜も眠れません。車内に落とした自分のハナクソを懐中電灯片手に見つかるまで探さねばなりません。走行距離がのびただけ減価しますし、予防交換が着々と近づくストレスで毛が抜けてしまいます。抜け毛掃除のストレスでさらに毛が抜けてしまう抜け毛スパイラルでしょう。気軽には乗れません。Porscheは「気軽さ」では最低評価の1点となります。




Mini Convertible(R57, MT)
  1. 価格、維持費--------4点
  2. 燃費---------------7点
  3. 安全性-------------3点
  4. 快適性-------------3点
  5. 楽しさ、スポーツ性----7点
  6. 気軽さ--------------4点
同じくR57も点を付けますと28点です。アルトより低得点ですが、屋根が開くという飛び道具があります。オープンにどれだけの追加得点を見出すかは、人によって判断が異なるところです。点数のつけようがないところです。




GOLF7
  1. 価格、維持費--------4点
  2. 燃費---------------7点
  3. 安全性-------------7点
  4. 快適性-------------8点
  5. 楽しさ、スポーツ性----5点
  6. 気軽さ--------------5点
Cセグメント王者のGOLF7は36点です。ALTOに負けてしまいました。どう考えてもALTOよりGOLFのほうがよいクルマに思えますが、それは私の認知、評価軸が歪んでいるからです。



Porsche Cayman
  1. 価格、維持費--------1点
  2. 燃費---------------2点
  3. 安全性-------------8点
  4. 快適性-------------4点
  5. 楽しさ、スポーツ性----10点
  6. 気軽さ--------------1点
同じくPorsche Cayman。身分が相応でないため乗ったことはもちろん、ディーラーに入ったことも、さわったこともありません。仕方がないので想像と偏見でテキトーこいて評価をしたところ合計26点でした。4台ではALTOが最高評価、Caymanが最下位評価となってしましましたが、それは私の認知、評価軸が歪ん(以下略





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