11.01.2016

【MCD】ケチ生活はつらいよ【T】

1 10月はMcDonald's【MCD】とAT&T【T】を買った。いまやクレジット・サイクルの末期で遠からず恐慌になる!という夕刊紙の予言を鵜呑みにしているので、高配当ディフェンシブとしてAT&T【T】を新規取得した。Time Warner【TWX】を買収したい、というのもよい。「物語」の需要は大古から普遍で、物語消費方法の中での映画というフォーマットも、ワーナーのコンテンツ自体も、半世紀単位で高い競争力を持つだろうから(TWXはコングロマリットで単なる映画会社じゃないけれども…)。ただ、もともと借金漬けの会社で買収もフル借金で行うとジャンク級に格下げされて元も子も失うという説もある。11月はイレギュラーが発生しない限りはVerizon【VZ】とPhilip Morris International【PM】の予定。


2 10月のこづかい出費は、DVDのレンタルが240円、 ピアニストのためのコード学習帳が1900円、コード本(初心者向け)が1900円、の3点。コード学習帳は網羅的な参考書という感じでまだ通読するには経験が足りないと感じ、コード本(初心者向け)を買い増し。DVDレンタルはKeith Jarrett大先生の東京公演であった。しかし、同じソロピアノでもYoutubeに転がっているマドリッドの方がよかった…。Youtubeのほうは昔のTV放送をビデオテープで録画してあったものをデジタル化してYoutubeへ、というものであるようで、CMは入るし、音質や画質は保存状態の悪いVHSのようでハナクソであった。この放送当時は、日系企業が欧州でバンバンCMを打っていた…。今となってはそういう時代もあったね、昔は私も美人で欧州人も米国人もアプローチしてきてモテたのよ、今となってはもうすっかり…だけれど…と…複雑な気分にさせるものがあった…。


3 エライ人のブログをみてソルフェージュ、特に聴音の勉強の仕方を学んだ。「不正解となった問題、曖昧に感じた問題は気が狂うほど反復して脳に叩き込め」というような言っていた。聴音については、問題と答えを暗記しちゃったらダメなんじゃないか、と思うこともあってどうしたらいいかわからなかったが、棒暗記で叩き込むことを繰り返して、積み上げていくことでいつしか棒暗記を脱して聴音力・読譜力が得られる、棒暗記の果てに地続きで聴音・読譜の領域がある、寝ても覚めても苦手な音列と楽譜を脳内再現しろ、という。


4 録画しておいたニューヨーク1997を見た。主人公スネーク・プリスキンはMGSの元ネタと知った。一つの教養となったが、「し、知ってる?あ…あのね…メタルギアのスネークって、ニューヨーク1997の主人公がモデルなんだよ…?」などと誰かに披露する機会を想像できない。そうした機会は一度も訪れないまま死ぬだろう。確かに元ネタではあるがニューヨーク1997自体は特に見るべきものはなかった。ケチ生活をしていると見る映画は無料放送の中からの選択となる。ケチ生活だと見たい映画はめったに見れないが、ニューヨーク1997のように見たいと思いもしなかったor存在すら知らなかった映画も俎上に載る利点があり、偏食が改まる。最近ではそのようにランダムに近い形で見ることになった、グッドフェローズとアウトローとスケアクロウが良かった。特にスケアクロウは、パルム・ドールなので知ったかぶり、ひけらかしの俗物野郎の教養として見ておくべきである。ちなみにグッドフェローズとスケアクロウはワーナー・ブラザーズである。


5 GTA5の2周目を1年以上かけてのんびりと楽しみ、クリアした。長すぎ、退屈すぎ、苦行、もはやゲームに非ず、と不評のトライアスロン・ロングも完走した。バイクパートで電柱にぶつかって落車したが、ランで巻き返してトップでゴールした。レース中、マイケルは10回くらい「これが中年の危機の唯一の楽しみだ!」というようなことを叫んでいた。本当はオンラインをしたいのだが、月額数百円とはいえ有料であるし、WiMAXを解約して無制限に使える回線がなくなってしまった。ケチ生活はいろいろと制限がある。


6 ウクレレやミニキーボードや新しいスマホ端末やブルーレイレコーダーが欲しくなった10月であった。しかし、それらは必需というよりもただの物欲であったようで、喉元過ぎれば熱さを忘れる方式で出費を回避できた。ケチ生活とは、Amazonのカートに欲しいものを入れて2週ほど放置して、物欲が喉元過ぎるのを待って、カートに入れた商品を棚に戻す生活のことである。


7 トライアスロン時代からのネット監視先としてのある人(一度リアルでジンギスカンを一緒につついたことがある)が、3年ぶりにブログを再開していた。激務に転職したと風のうわさに聞いていて、ネット上から姿が消えたかのように見えた時期もあり、過労死したな、と心の中で断定していた。しかし、実際は過労死しておらず、その3年の間に結婚をするなどしていた。単にリアルが充実していた、ネットという名の痰壺にかかわる暇がないくらい充実していた、ということであった。よかった、めでたい、と思う一方で脱・独身をねたましく思う気持ちもあった。まだ、ねたましいという人間らしい気持ちが残っていると知った。



ソファ等での気軽な音出しに欲しい…。


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10.16.2016

ウクレレ欲しい…

1 誰かを攻撃したり悪口を言ったりするトランプ先生の姿を見て、誰かを攻撃したり悪口を言ってもその人がgreatに見えることはないのだな、批判をしても賢く見えたり優位になるわけじゃないのだな、と思った。


2 先週は2回、短時間ジョグをした。


3 Sinfonia No.3の譜読みが最後まで到達した。実生活の諸般のダメージ等があり、譜読みだけで半年かかった。次はアンナ・マグダレーナ曲集プレインベンションにして難易度を下げたい。出費を削っているので、10ドルの楽譜であってもポンポンとは買えない。曲集検討も慎重にせねばならぬ。


4 攻殻機動隊を見た。6回目か7回目だろうか?古い作品だが何度見ても傑作。「ダビングした時にみられる情報の劣化」とかなんとか言うセリフに時代を感じた。デジタルではコピペしても劣化しない。


5 ピアニストのためのコード学習帳(CD付き)を買った。和声学や音感の本が全く身につかなかった、身につく予感すら漂わないことから角度を変えたアプローチとして。ピアノ用なので汎用教本をピアノでなぞるための脳内翻訳が不要であること、比較的初心者向けであること、Amazonで検索したら複数のキーワードで上のほうに出てくることからこの本にしてみた。この種の本では序盤に必ず自然短音階、和声短音階、旋律短音階が出てくる。自然短音階からラとかシを半音上げることは知っているが、なぜそうするのか、そうすると何が得られるのか、等、その重要性が分からない程度に音楽の理解が低い。どうでもよいことだが、表紙のデザインはひどい。


6 コード楽器として、気軽で陽気な楽器として、ピアノの息抜きとして、和声理解への別アプローチとして、ウクレレが欲しい…。G(ソシレ)にファを足すとG7になることは知っているが、なぜG7を使うのか、G7が何をもたらすのか、GとG7の本質的な違いが分からない現状が、ウクレレでコードになじむことによって改善するかもしれない(あるいは、ピアノ曲ではなくてピアノ弾き語り曲集がコード勉強にはいいのかもしれない)。出費を削っているので200ドルは無理だが…。





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10.11.2016

【KO】すべては金のために【VYM】


1 9月はCoca-Cola【KO】とVanguard High Dividend Yield ETF【VYM】を買った。額は少なくて恥ずかしいから言えない。

2 9月のこづかい出費はゼロだった。新規出費はしていないが、これまでに買い蓄えてきたアイテムがあるので、生活水準がいきなり下がるわけではない。それらのアイテムが壊れたり更新時期となった時に、生活水準を維持するのか下げるのか、という選択になる。

3 生活水準の下限を探る一環としてWiMAXを解約してみた。家にネット回線がなくても特別には困ることはなかった。モンスター・クレーマーの増加で年間365日前後は会社にいるため、旅行することもなくなったし、家にいる間は日中モンスターに打ち込まれたダメージでグロッキーなのでネットをしなくても支障がない。

4 年間365日前後は会社に行かないと無職転落・路上生活必至なため、今年も彩湖トライアスロンもお台場トライアスロンも観戦に行けなかった。来年こそはお台場に、とか、2020TOKYOには必ず、と思っている。

5 オリンピックが終わってメダリストがそろってバラエティ番組に出ている。グロッキーな状態でボーっとそうした番組を見ていたらメダリストが「すべては金のために」と書かれたパネルを手にしていた。今後の抱負か何かなのだろう。「なるほどその通りだな…この世はカネがすべてだな…」と心の中で強く同意したところ、カネではなくて金メダルのことだったらしく、私の心は汚染されていると知った。

6 子供のためのソルフェージュ(1a)は60%くらい進行した。習熟度は低いが、1周目は進行を優先して習熟は2周目以降に。

7 Sinfonia No.3の譜読みも70%くらいの進捗。実生活のもろもろのダメージが大きくて進行が止まった状態が数カ月続いたが、ここにきて再開。もろもろもダメージがあってもピアノに向かうことをやめなかったこと、ダメージが特に深かった1週ほどはピアノに触れなかったがすぐに再開したことから、ピアノというかバッハを弾くことは、重要な位置づけにあるらしい。

8 次期ピアノ候補は、と、書いてから1年が経とうとしている。その1年の間に楽器店で電子ピアノを触る機会があった。高い電子ピアノと安い電子ピアノでは、鍵盤の材質や、電装部分での機能差は顕著であるが、鍵盤のタッチという本丸部分においては高いクラビノーバも最安アリウスも大差がない。ブラインドテストをしたらおそらく気づかないだろうくらいの差。本物のピアノと高いクラビノーバの鍵盤タッチの差が10だとすれば、クラビノーバとアリウスの差は1以下というか、実質ゼロ。というか、どちらも本物のピアノと比較するとニセモノ感がMAX。ただ、YAMAHAのNU1については鍵盤タッチは本物のピアノ同等であった。NU1は電子ピアノではあるが、鍵盤はアップライトピアノを再現している。しかし、電子ピアノなので弦はない、というもの。鍵盤を押した感じは本物のピアノそっくり。ただし、重量が100kg超であること、鍵盤タッチ以外はただの電子ピアノであるなど、ニッチな商品である。
というわけで、高いクラビノーバにメリットは見いだせない(演奏する曲や、演奏水準によってはクラビノーバにも意味があるのかもしれないが…)ため、今のアリウスが壊れず長持ちしてくれることを祈りつつ、仮に今日壊れたとしたら手軽なYDP-S52に更新するつもり。


鍵盤タッチだけは本物風。






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9.09.2016

最重要スキルですよ


1 先日の記事後に子供のためのソルフェージュ(1a) が売れていた。マイナー商品なので記事と無関係とは考えられず、誰かが記事を読んで「なるほど私も買ってみるか」と思い、買ったのだろう。ピアノ界隈の人が読んでくれているだろうこと━ほとんどゼロかと思っていた━が、大変うれしい。また、渾身の空振り記事も、空振りから数年かかったものの数十円の収益を生むなど、大変うれしい。




2 防音室住宅にベーゼンドルファーが欲しいなどと1億円コースを言い出さない限りはピアノというか音楽はカネのかからない趣味だと再認識。凡人にとっては6万円の電子ピアノで十分にオーバースペックで、1000円の楽譜が一生モノだったりする。しかも年をとっても楽しめるので大変よい。年をとってからアメフトをやるとタックルで即死する。




3 メンドクセーな、と思いながらも安全面を考慮してALTOのサイド、リアにガラコを塗った。フロントは撥水しないほうが好みなので塗らず。GOLFとMiniに乗っていた時は休日洗車おじさんだったけれども、ALTOになってからは洗車はしなくなった。洗車する気がピクリとも起きない、というのがALTOの魅力のひとつである。洗車疲れも、時間とお金の浪費もなくてよい。しかし、駐車場でクルマを眺めてニマニマすることもなくなった。
施工後、雨が降った。撥水して良視界が得られてうれしい。




4 Mini Convertibleは乗る時間がないから売ってしまったのだけれども、売ってしまえば売ってしまったでさびしい。出かけたときの写真を見たり、屋根を開けた感覚やカーブの横Gの感覚を思い出すと、ああ、売ってしまったんだな、売らなければよかったな、さびしいな、と。
ALTOよりもう少し色気のあるのに乗りたいと思うこともしばしばで、Mini OneとかS660とかコペンとか500Sとか、あるいは安全面からCセグ以上が望ましいから118ディーゼルかな、など。乗りまわす時間がないし、経済的理由もあって当面はALTO継続なのだけれども。




5 ミニマリズムを志向しているわけではないが、モノを捨てる、モノを売る、不要不急なモノは買わないなどをしていたら、この1年ほどでゴミ屋敷がすっかり片付いた。CD、DVD、カメラなどの趣味類も処分した。写真額や絵画ポスター等の装飾品も捨てた。部屋からモノが減り殺風景になった。また、固定費削減のためにインターネット(WiMAX)を解約した。社会に出て以来、というか、中学生時代と比べても今のほうがローコスト生活と言えそう。アーリーリタイアを考えるとき、というか、無職転落が遠くない、というか、"The End is Nigh"というか、ご飯を食べるためにでさえ働く意欲がない、というか、食品以外に消費しないのだから食品軽減税率があれば消費税45%になっても85%になっても大して影響のない生活、というか、生活水準を可能な限り下げて底辺生活耐性をつけて延命性能を高める、というか、パラダイス・キスに20分と耐えられず口直しにリヒテルの平均律を聴くような人間にこの世を生きる資格はない、というか、特に内容のない人間だった、というか、特に内容のない人間であることに失望できるだけのプライドの高さはあった、というか、人生の半分をかけて分かったことがそれだけだった、良くてノイズ、悪くて害虫、というか、1年くらい店員と警官とクレーマー以外と会話をしていない、というか、社会とのリンクが切れてきた、というか、自分で切ってきた、というか、ともかく、社会に背を向けていくようにも見えるもろもろの変化がある一方で、いろいろなことから自由になったような気がしないではない。が、首からカメラをぶら下げてかわいこちゃんとMini Convertibleに乗ってお祭りに行き屋台のりんご飴をぺろぺろと舐めてニコニコする夢を見た。忘れがたい夢だった。自分が現世であきらめてしまったものが同時に直接的に出現するなど、無意識領域では圧迫している様子。




6 ソルフェージュ練導入以来、ピアノというか音楽への情熱が持ち直してきてうれしい。ピアノに限らず、ソルフェージュは音楽全般で最重要スキル、と知った、というか、20年前に気づいておきたかった…。




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9.01.2016

【カネ】8月のおこづかい帳 & 購入銘柄【カネ】

ケチ生活開始からもうすぐ1年になろうとしている。ケチが軌道に乗って必需以外の出費がないのが当たり前になった。
8月の必需以外の出費は3点であった。合わせて2000円ほどであった。ケチ生活中で出費を絞っていても、後になってみれば余計な出費だったと思うものが多いなか、8月に買った本2点は現在の生活に有効に働いていて大変満足感のある買い物であった。特にソルフェージュ本は生涯使っていくだろう基礎書なので費用対効果はMaxと言える。
コーラは照りつける太陽の暑さにどうしても我慢できず…
  1. 子供のためのソルフェージュ(1a)----1000円弱
  2. こどものピアノ曲集------1000円弱
  3. ペプシコーラ------110円



8月もMyルールに淡々と従い、2つ買った(避けるべき個別銘柄になったが、そういう気分のときもある)。額は僅少で恥ずかしくて書けない。
  1. Anheuser-Busch InBev 【BUD】------ビールをつくってるおっちゃん。ベルギー人。
  2. Johnson & Johnson 【JNJ】------絆創膏をつくってるおっちゃん。アメリカ人。
現在のドル円は購買力平価からすると10%くらい円安水準とされる上、米国の利上げが秒読み且つ株式指数に天井感があるタイミング、加えてWSJなどで生活必需品セクターは行き場のないマネーに"ニュー・ソブリン"として無秩序に買われて危険な水準と報じられていて、どこからどうみても割高と感じている。本来は7,000円のはずなのに10,000円を払うような、3,000円をドブに捨てるような感覚。しかし、私がどう感じているか、という主観を排除するのがルールの主旨であるから…。







我慢した出費
  1. シン・ゴジラ-----レイトショーで13ドルほど。ケチ生活とは、この13ドルが払えないということ…。ケチ生活とはTV放映でしか映画を見れないということ…。
  2. レンタルDVD------15ドルほど。ぜひとも見たいが、TV放映は望めない(成人向けとは言っていない)作品が複数ある。遠からず清水の舞台から飛び降りて出費に踏み切るだろう。
  3. 高速道路に乗ってどこか遠くへ------100ドル超。生活圏から遠く離れることと、無味乾燥で退屈な風景の高速道路を無心でずんずん進んでいく感覚が好きである。しかし、100ドル超は払えない。
  4. プール------4ドル。たまには泳ぎたい。水につかりたい。水圧を受けたい。浮力でリラックスしたい。かつては週に6回プールに通ったこともあったが、最後に泳いだのがいつだったか、どこだったか、もう思い出せない。
  5. ステレオミニケーブル------5ドルか10ドル。電子ピアノと録音機をつなぐケーブル。ソルフェージュ(聴音)の音列再生をスマホで行うことを想定していて、そのMP3ファイル作成作業に長めのケーブルがあると便利。現在はALTOで使っている短いケーブルを引っこ抜いて部屋に持ってきている。部屋にケーブルがあるとクルマにケーブルがないし、クルマにケーブルがあると部屋にケーブルがない。







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8.29.2016

ソルフェージュのやり方


先生に教えてもらうための時間とお金と入塾拒否されない外見がないため、ソルフェージュを独学でやるほかない。しかし、基礎知識もノウハウもないから"How to learn"の部分もわからない、が、いろいろな聞きかじりを総合すると概ねこんなところだろう、と、ひねり出してみた。
  1. 声を出さずに読む。頭の中で歌う
  2. 音程・音名を無視してリズムだけ再現する
  3. 音程は付けず、音名(ドレミ)は付けて口に出す
  4. 音程を付けて音名で歌う(ドレミ♪)
  5. 音列を聞いて音程を推定する or 五線譜に書き取る
1は、これができれば苦労しないよ、という最終的且つ包括的な読譜力。読譜力が最終段階まで仕上がった人は、あらかじめチラッと楽譜に目を通せばスクリャービンだとかブラームスだとかハンマークラヴィーアを初見で弾いてしまうらしい。また、この能力が超人レベルまで仕上がった人が、指揮者である。そういったレベルまでは望まないが「楽譜が読めないから鍵盤位置をヨタヨタと解読して繰り返し繰り返し鍵盤を押さえて出てきた音で曲調をつかんでから指にしみこませる」という現在のやり方からは脱したい。楽譜は音楽が書いてあるもので、鍵盤位置を示す暗号表ではない。楽譜から直接音楽を読めるようになりたい。


2は音符の長さ、休符の長さ、リズム感を脳に植え付ける作業。「音の長さはよく見ればわかるよ…どれどれ…ええっと…これは四分音符二つ分かな…っと…はい!読めた!」という状態ではダメで「パッと見てパッと脊髄反射する」状態を目指す練習。見落とされがちだが、実は重要らしい。これをやる際は、音の高低もドレミもつけなくてよい、つけないほうがよい、とされる。例:たー、たー、うん(休符)、うん、たーたた、たーたー


3は音符を音名(ドレミ)で読むが、音程(音の高低)は絶対につけずにやりたまえ、可能ならスピードを上げてやりたまえ、と子供のためのソルフェージュ(1a)の冒頭解説に書いてあった。音符を音名で読み取る速度を高める訓練と思われる。リズムは楽譜通りに、音名(ドレミ)を高低付けずに棒読みする。高低をつけて歌おうとすると、瞬読性とは違った感覚が混じるため、あえて独立して行うべきなのだろう。やってみると、通常の読譜とは脳の作業領域が違い、独立して行うべきと書いてある意味がなんとなく分かる。


4はソルフェージュと聞いて想像する標準的なものだろう。23で独立して練習した下書きに音程という色を塗る感じだろうか?そもそも、ソルフェージュはなぜ音符にドレミと名付けてその名前を口に出して練習すべきなのか、という疑問があるが、脳の言語野と結びつけることで総合理解が深まる、という理屈なのだろうか?リンゴという言葉を認知した瞬間に味と香りと歯ざわりと色と形の統合されたイメージがパッと頭に浮かぶが、それと同じ現象を起こさせるためだろうか?


5は聴音。独学だとやりにくいところ。ソルフェージュ教室だと先生が音列を弾いて、それを生徒が書き取ったり歌ったりする。先生の代役として電子ピアノの録音機能を利用する。ソルフェージュ練が軌道に乗り長期本格運用できる状態になれば大量に音列をストック、ランダム再生できるスマホやiPodが便利かもしれない。五線譜はエクセルで自作するなり、ネットに転がっている五線譜PDFを印刷。会社のプリンタをこっそり使えばタダで調達でk(略)、というか、コソコソするより買ったほうが安いかもしれぬが…。


5項目以外にも、ピアノであれば鍵盤の位置、ギターであればフレットの位置、フルートであれば手の形などの脳内イメージと、音符との脳内リンクを強化するとより効果的だろう。歌を歌う人が顔の前に手を持ってきて何やら音程に合わせて動かしているのを見るが、音とリンクされた手のイメージがあるとそのように手を動かすことが演奏に有効である、という説がある。手の形、言語、視覚イメージ(その他利用可能なものはなんでも)等、いろいろな要素を強引にでも脳内で結び付けると有効と思われる。
また、和声(和音)を並行してやるとよりよい、と書いてあるのでそれも細々とやるべきだろう(が、和声はまだ難易度が高い…)


他に足りていない項目はたくさんあるだろうが、上記の項目だけでもボリュームとしては過剰と言えるほど。4小節とか8小節の単純に見える音列でも上記項目をみっちりやったら脳が疲れて霧がかかったようになって大変である。みっちりやったなら、最も初歩的な本の、序盤の半ページでさえ脳がグロッキーになるので、一日に半ページずつ頑張って1冊通すのに何年もかけるより、適時手を抜いてさっさと1周回して全体像を把握し、長期トレーニングの見通しを得るほうがよさそう。
日々ソルフェージュ本を開くまでに、ちょっとかったるいというか、作業感があるというか、気が重いというような、ネガティブな感覚もあるが、未知の領域を開拓していくやりがいのような面白さというか、手付かずの広大な原野に、自分が歩いたところに少しずつ獣道ができるのではという期待感というか、そういうやりがいはある。
なんであれ、いい年こいてからのソルフェージュは気が遠くなるような反復を要するだろう。






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8.24.2016

基礎が大切?(ソルフェージュ)


ピアノ練の不調の原因、すなわち、どうして私は音楽がさっぱりわからないのか、楽譜と音が有機的にリンクしないのか、音楽にならずに「指の体操」なのか、というところを探っていたところ、いつの間にか横道にそれて人生の不調を掘り当ててしまい、右往左往しながらLangkawi DNS以降を過ごしてきた気がする。人生の不調を自らの心の中で強調するにしたがって「そもそも電子ピアノは楽器じゃない、本物の楽器を持てない環境が悪い、ベーゼンドルファーがないのが悪い、社会が悪い、政治が悪い、国が悪い、ポルシェで気分転換できないのが悪い」などと機材に文句を垂れたり、国に責任転嫁して現世を恨む始末であった。

しかしながら、自転車で考えたとき、頑張ってもAve.22km/hでしか走れない人が「Cervélo P5を持ってないから速くならないんだ」と言い出したり、果ては「自宅に風洞実験トンネルがないから速くならないんだ」と言っているようなものではないか、自宅に風洞トンネルを欲しがる前にもっとやれることが残っているのではないか、と思うようになった。

My防音室にMyベーゼンドルファーがないから音楽が理解できないのじゃなくて「音楽の基礎が存在しないから音楽がわからない」というシンプルな現状を把握した。同時に音楽の基礎をつけるには、基礎をつける作業をするほかない、というシンプルだが「通りたくない道」も見えた。音楽の基礎をつけるには、基礎をつける作業だけが必要で、ベーゼンドルファーやポルシェは無関係だ、と思えるようになった。ピアノは単独で使える和音楽器で便利な手段ではあるが目的ではない、目的は「音楽」であって「ピアノそのもの」ではない、と考えるようになった。


というわけで、ケチ生活中ではあるが、音楽の基礎となるだろう本を2冊買った。久しぶりの買い物だった。
  1. 子供のためのソルフェージュ (1a)
  2. きらきらピアノ こどものピアノ名曲集1


1冊目はソルフェージュ本。ソルフェージュは楽器以前の、音楽の一番の基礎となるものでギターを弾く人も歌を歌う人もピアノを弾く人もマリンバを弾く人も全員がここからスタートするものである、と今更ながらに知ったので、まずはそこから。単純な楽譜を歌ったり、目視して脳内で音を鳴らしたり、音を聞いて脳内で楽譜を描いたり、脳内楽譜を歌ったりして、音と楽譜と音程(ドとミはドとレに比べてどのくらい離れているか等)とリズムを脳に叩き込むための本で、初歩の初歩である1巻というか1a巻。大変に古くからある本で、今の老人が「ギブミーチョコレート!!」などと叫んで進駐軍のジープを追っかけていたころから存在している名著。解説や文字はほとんどなく、ひたすら音列が並んでいて学習ドリル風。ソルフェージュから離れて数十年という人が、ふとした瞬間に口に出てくるのが大昔にやったソルフェージュの音列だったりするようで、チラッと通読するのじゃなくて体に染みつかせるまで反復練習をするのが正しい使い方である様子。
ソルフェージュの最終形は楽譜を見ると脳内でスラスラと音楽が鳴る状態であろうか?最終段階まで読譜力が仕上がった人は平均律を初見でさらっと弾いてしまう、という説を2ちゃんねるで見た。本当かどうかは知らない。

2冊目はこども向けピアノ曲集。「いい年こいたおじさんが、がきんちょ向けなんてやってられるかよwww」と書店では無視する書棚にあるタイプの本である。しかし、人様のブログを見ていたら大人向けピアノ教室でも一番最初にこれをやらされる、と書いてあったのでぼくちゃんもマネをして。
この本で指の体操力を磨くのではなく、楽譜と音と楽器の脳内リンクを強化するための、楽譜を見て脳で音が鳴るようにしていくための素材、という位置づけ。ダンス暗譜で音楽を覚えてから楽譜を読むのじゃなくて、まずは可能な限り楽譜だけを読んで脳内で音楽を形作ってから実際に鍵盤で楽譜を再現・答え合わせをしていく、という手順でやりたい。
こども向けの一番やさしいものであるが、現状では楽譜を見ても脳内で音が再生されない。単メロディはぼんやりと脳内再生されるが、副メロディ・和音になると壊滅である。基礎が全く欠けている証拠である。


どちらの本も算数で言えば足し算や九九といったものであろう。「いい年こいたおじさんが、がきんちょみたいなことやってられるかよwww」と言いたくなる基礎的な部類であるが、基礎がないのだからここから始めるのが本来である。音楽は儒教ではないのだから、いい年こくだけで偉くなるわけではない。基礎がないものは基礎がない、ゼロはゼロ、無能は無能、教室に通って半ヵ月の鼻を垂らしたがきんちょ以下、いや、老いてるだけハンディキャップ、と認めねばならない。足し算や九九が体に染みついているのといないのでは雲泥の差があるのと同じであろう。基礎をやらねば基礎はつかない。ベーゼンドルファーを買っても基礎はつかない。Invention & Sinfoniaを弾いても基礎はつかない。

本は楽器店で買った。うさぎ夫妻が描かれたほのぼのとした表紙の本であった。年齢的に、こどものために買いに来たお父さんと思われたことは必至であるが、いい年こいたおじさんがおじさんのために買ったものであって、つらい…。




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8.16.2016

ソルフェージュはじめ


謎の体調不良が回復せず、トライアスロンから遠ざかってしまい、直ちにはこの世から去りたくない理由の大きな大きな一つが潰えてしまった、と感じながらも、もう一つの大きな理由であるところのピアノ練に支えられてきましたが、それもここにきて不調です。
ピアノ練というかバッハを弾いて人生を過ごしたいと願いながら20年たちました。なかなか軌道に乗らずに20年たち、この1年くらいでようやく軌道に乗り始めたと思ったのですが…現在は、不調です。
昨年来から1日に2時間の練習をしていました。しかしながら、いろいろな理由で―以前に書いたように、飲まず食わずで給料を貯金したとしても、風光明美なところに防音室住宅を建てて暮らす…という生活が、数字の上で否定されたこと、もはや夢も希望もないじゃないか!夢も希望も時間もなく布団と会社を往復してクレーマーにサンドバッグにされる生活がこれからも続くのか!と失望したこと、理論暗譜の道が全く進まず、ダンス暗譜一辺倒なこと、音楽ではなく指の体操に過ぎず音楽的理解が皆無なことのむなしさなど―不調に陥って練習時間は7割減となりました…。
不調に陥る過程で、下記の通り譜読み終了曲は増えました。曲は増えましたが練習量が減ったので1曲あたりの練習時間が希釈されて全体のクオリティは下がりました。そもそも素養がないから、楽譜と音楽と鍵盤の有機的なつながりもなく、指の体操にすぎなかっただけに練習時間が減れば当然、ヨタヨタしていくばかりです。

紆余曲折の末の、万感こみ上げる、あの、フィニッシュラインまでのラスト100メートルのような、美しきゴルトベルク第30変奏から締めの天上的アリアへつながりが自分で弾けるようになったことの喜びというものがあってしかるべきでしたが、音楽的素養が皆無なため台無しです。
そうして不調になりました。音楽的素養を付けるために「理論暗譜」や「和声学」に手を出しては収穫なく沈没してきました。この先の人生のためには、どちらかと言えば指の練習よりも音楽的素養を付けることのほうが重要なので「ソルフェージュ」に手を出してみました。ソルフェージュは先生に教えてもらうのが良いとは思うのですが、時間的制約から独学にならざるを得ず、また、経済的制約から書籍などを買えず、とりあえず洗足音大のオンライン講座(とても充実しています)で初歩の初歩をしています。同じく洗足音大の譜読大王もとても有用です。加えてAndroidアプリの楽典ウォーズ3Dまであります。これらを無料で提供している洗足音大は"ネ申"です。足を向けて寝ることはできません…。
ソルフェージュは現在のところクイズのようで楽しくできています。再生されるメロディを譜面に書いてみて当たった外れたと一喜一憂—初歩の初歩でも正解することは稀です—するだけでなく、音名(ど~み~そ~♪)で実際に歌うなど、音と、鍵盤と、楽譜と、音名と、音程の脳内結びつきを強めるよう心がけています。
すると、例えばハ長調の単旋律であればメロディ終結は不思議な引力でメロディラインが「ド」に吸い寄せられるような、「ド」に吸い寄せられるにしたがって終結感が生まれる、という「暗黙の了解」が体感でわかるようになってきました。
と局所的部分的な向上はあったとはいえ、ドとソの5度の関係がトニカとドミナントで本妻と愛人の関係だとされる、という、この最も基本的な感覚すら今なおさっぱりわからないのです。
かつて「君のような非モテ・非コミュにはわからぬことかもしれぬがね……あまり大きな声でいうものではないがね、君、確かに私には家庭の外にも(女は)いる。しかしね、やっぱり本妻が一番なのだよ、最後は本妻に戻っていくものなんだよ。」と、ある人が焼貝を食べながら言っていました。音楽のことも、人と人の関係のことも、分かる人には説明する必要もなく自明なことでしょうが、私のような埒外な人間にはアラビア語のように難しいものです。が、ソルフェージュを続けていけば、いつかは…きっと…そのような…音と音の関係性の理解に…通じていくのだろう…と願って今日もソルフェージュをしています…。

人様のブログなどを見ると、ソルフェージュは長期の継続を要求するようです。スクリャービンやプロコフィエフを弾いてしまうような人—クラシックピアノ演奏というカテゴリで はソルフェージュというか和声というかコード進行というか、その方面の能力が演奏能力に比べて著しく欠けている人がいる、というか、クラシックピアノ演奏には必須スキルでない、クラシックピアノ演奏は楽器全体で見れば異端な部類だ、という説もあります。ジャズやら各種合奏(バンド)では必須かつ主要スキルとされます—が「ソルフェージュが全然できないから、先生についてゼロから習い始めて2年。少し上達を感じるようになりました」と書いていました…。ちなみにその人は音大出身で、その人がいう「ゼロ」を文字通りのゼロと解釈してはいけません。マラソンSub3達成者が「全然走れないからゼロから見直す」と言い出して2年間の基礎練をして「ようやく走れるようになってきた。」と言っているようなものですから。



現状
  1. Invention No.1
  2. Invention No.2
  3. Invention No.11
  4. Sinfonia No.4
  5. Sinfonia No.11
  6. ゴルトベルク アリア
  7. 平均律I No.1 Prelude
  8. 平均律I No.1 Fuga
  9. Sinfonia No.2
  10. Sinfonia No.1
  11. ゴルトベルク 30
  12. Sinfonia No.3←譜読み中…






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8.15.2016

私の7つの投資ルール


金融脳となってからいろいろな金融商品を買い散らかして、2015チャイナ・ショックからBrexitまでの乱高下で痛い思いをしました。痛い思い(お金を失うこと)を通じて方針といいますか、ルールの大切さを学びました。「もうかったらいいな、もうかるにちがいない、もうかったら札束風呂に入っちゃおう、CaymanMacanも両方買っちゃうぞ」という願望に基づいて買い散らかしても、短期的にまぐれ当たりをすることはありましょうが、長期的にはターゲットに近づきません。そもそも、ターゲットを設定していないのですから近づきようがありません。なんのためにやっているのか意味付けされないままあちらもこちらも買い散らかして、乱高下に巻き込まれてあちらもこちらも暴落して精神的に動揺。「もういや…」と嫌気。そしてすっきりさっぱりするために手仕舞いをして市場から退場。装備も情報も戦略もなく、バンザイ突撃をして即死。これではいけないと、痛い思いをして知ったのでした…。
まずターゲットがどこにあるのかというところから自問(これが難問。ライフスタイルの根本を見つめる作業。参考記事)を始め、数ヶ月かかりましたが、ターゲットと、その達成のための自分なりのルールが固まってきました。それはおおまかに、シーゲル先生が提唱するディフェンシブ配当再投資の「シーゲル流」に属するようです(先生の本は読んだことがありませんが…)
  1. 10年か20年後の、給料以外のインカムの増大がターゲット
  2. 主観・感情の排除のため、タイミング投資(おっ!この値動きは!チャンスだ!今だ!えいやっ!と売買すること)を避ける
  3. 相場や為替がどうであれ、毎月15日と30日に一定額(+配当金)を購入する。安いと思ってもルール以上は買わない、高いと思ってもルール通りに買う
  4. グロースを避け、バリューorディフェンシブを選好*
  5. 個別銘柄を避け、ETFを選好
  6. 売ったら買わない、買ったら売らない、売るものは買わない
  7. ターゲット達成に寄与するならルールは無視する
*グロースとはアリババ、Facebook、Amazon、テスラモーターズのような、高成長で輝かしい未来を感じさせるキラキラした昇り龍企業群のことです。
一方バリューは成熟したベテラン企業群です。食品、飲料、洗剤、酒タバコ、ヘルスケア、電力、通信のような生活に密着して欠かせず、不景気でも消費量があまり減らない業種がディフェンシブです。
マイクロソフトやアップルは、ひと昔前まではグロースの代表格でしたが、提供する商品が成熟し、インフラ化し、バリューへと変化してきています。マイクロソフトやアップルの成熟に至る過程で、競争に破れ去った無数のグロースが存在します。

このルールを採用すると、恐慌やリセッションによる株価の下落は、すでに買ったものは含み損に沈みますが、これから買う分にはバーゲン価格と言えます。下落時にもルール通り一定額を買うため、平時よりもたくさんの株数が得られるからです。ターゲットは10年か20年後のインカムの増大ですから、評価額よりも株数のほうが重要な数字だ、と思えるため、精神的に動揺せずに済み、バンザイ突撃で玉砕して市場から退場せずに済む、と考えています。
ただし、このルール採用には一つおおきな前提があります。それは「プラスサムであること」という前提です。経済(といいますか、S&P 500などの指数)は長期的には右肩あがりで、恐慌やリセッションがあってもそれは一時的な調整に過ぎず、それらを乗り越え再びもとの右肩上がりの成長軌道へ戻るという前提です。バブル以降の失われた20年、人口減、ゼロ成長、ゼロ金利、デフレ、少子高齢などの衰退フェイズにある我が国では「プラスサム」は夢物語———我が国はゼロサムどころかマイナスサムすらささやかれています———に見えますが、それは地球全体からみると特殊な例でしょう。そうした特殊例を排除すれば「プラスサム」を期待してよいと考えています。この「プラスサム」が将来も続くという前提は、根拠はなく「信心」に近いものです。

私個人は、現在の資本主義といいますか、消費社会といいますか、世界全体の秩序は病んでいる、こんな世界は長続きしない、破滅する、と感じていますが、60年前の「巨人と玩具」という映画で、キャラメルメーカーの社畜のおじさんが同じように資本主義の終焉だとか、人類は不幸だとか、矛盾を隠蔽するのはもはや限界だとか、消費社会の虚しさだとか、ありもしないイメージ宣伝でキャラメルをがきんちょに売りつける非人間性がどうしたとか、こんな社会は永続しない、物質があふれても心は貧しくなるばかりだとか、こんな世界は許されないから破滅しなければならないとかなんとかさんざんに愚痴っていました。60年後の現在もコピペでもしたかのように似たような愚痴を人間は繰り返しています。そのあいだに、破滅するどころか、人類は強烈なプラスサムを得ました。
世界が病んでいて破滅は避けられない、と思うとき、大抵の場合は、そう思う人が病んでいるのです。楽観的情報は無視して悲観的情報は針小棒大にしたがる認知の歪んだ人なのです。病んでいるのはキャラメルメーカーの社畜であり、私であって、世界ではないのです。仮に多くの人が、世界は病んでいると考えるようになった場合、世界は病死や破滅に向かうのではなく、これまでもそうだったように、これからも多くの人によって修正され、よりよい世界となるでしょう。
60年前、人はハエ取り紙を吊るしたバラックに住んで腹にサナダムシを飼っていました。今では冷房の効いた清潔な部屋でダイアナ・クラールをBGMにローストビーフを食べています。先進国の物質文明はすでに十分に発展しました。先進国についてはこれから成長速度は遅くなるでしょう。しかし、先進国以外を見れば、今もバラックに住んでいる人がたくさんいます。これから冷房の効いた部屋に住みたい人がたくさんいます。地球全体ではプラスサムの流れは止まらないでしょう。ある種の人が資本主義の不毛を感じて熱心に世界の破滅を祈ったとしても、プラスサムは止められないでしょう。その流れでグローバル企業は恩恵を受けるでしょう、というのが、さきほどのプラスサムは将来も続くという「信心」です。しかしそれもインカム増大ターゲットという願望で歪んだ認知によってもたらされたにすぎず、根拠はありません。明日、誰かの願いがかなって、人類は滅亡するかもしれません。







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