10.27.2015

中年散歩

池袋
先日、池袋にピアノを弾きに行った。貸ピアノ店のほかに、昼食をとったり、コーヒーを飲んだり、風呂にはいったり、書店で買い物をするなど、池袋を歩いた。池袋には大学や専門学校、予備校があり、またサンシャイン通りもあり若い人が多い。20年ほど前になるが、浪人したとき、私も池袋の予備校に通っていた。

それから20年たって、若い人を眺めながら、かつて通った街を歩けば、自分がずいぶん年を取ってしまったこと異質になってしまったことを嘆かずにはおれない。そう思うのは自分がまだ若い人の範疇に入っている、という思い違いから発しているのだとも改めて、というか、机上でなく実地で気づいた。若年じゃなくて中年になったのだな、と。

「現役で司法試験に合格して法曹入り、港区のタワーマンションで夜景を眺めながらワインパーティ」というようなこの世の栄華を極めた春の夜の夢のイメージにはもちろん「貧しくともささやかな家庭」という現実的に思えたイメージにも手が届かなかった、今後も手は届かないだろう、と敗残感を募らせる一方で、満足のいくタイムでアイアンマンディスタンスを走ったことを思えば何もない空虚な人生だったとも言えない。

若い人の街ではそのような居たたまれなさ、布団と会社の往復という社会に接続されているのか隔離されているのかわからない広いようで狭い日々、現在が劣化コピーされ未来という名前で明日がやってくる確信、カネはあっても時間がない、あるいは時間を楽しむだけの十分なカネはない状況、進むべき道のなさ、あるいは進むべき道の果てに見えるだろう荒涼たる光景、それらを並列していくと、ミッドライフ・クライシスであるな、と思うのだった。



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2 件のコメント:

  1. たまごあたま2015年10月27日 16:56

    劣化コピーであったとしても、明日が来ると信じられる。
    それだけでも感謝したくなる日がいずれやってきます。

    memento mori
    楽しまなければMottainai。

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    1. きっとそうでしょうね。

      巣鴨を歩けばまた違った感想かとも。

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