7.18.2015

知識と体験


半年以上、休みが取れない状況が続いてきた。先日、区切りがついて状況が改善するかと期待した矢先にまた嫌な展開になった。ライフワークバランスが崩れていて、改善の見込みがない。

父親に痴呆が出始めた。大変なショック。どのくらいショックなのか、というのは未体験ゾーンなので説明のしようがない。徐々に父親が失われていくこともそうだし、自分の一部が溶けて消えていく感覚で、強度で言えば、これまでで体験した精神的打撃としては最大級で、改善の見込みはない。

安保だの戦争だの徴兵だの大東亜帝国主義の復活だのと騒がしいが、興味がない。人生でもっとも政治・社会に興味がなくなっている。

解決策やアドバイスは全然要らない。心情的に寄り添って欲しいとも思わない。「約束された安堵」とか「薬物の王者」と称される—業者の宣伝文句にも見えるが—ヘロインが欲しいが違法薬物だからせめて代替ヘロインのオキシコドンが欲しい。オキシコドンも違法薬物かもしれないから、大麻が欲しい。場合によっては大麻も違法かもしれない。先日、5年ぶりくらいにアルコールを飲んだ。白ワインを半杯ほど。久しぶりの薬効を経験したが、アルコールは、人生を削ったりお金を払ったりする価値のある薬物とは思えなかった。

以前見たときは大した感慨もなくスルーしたスキャナー・ダークリーが、とてもビビッドで、個人的にとてもシンクロしているのではと思いだされて、再見した。敗残者への挽歌であった。これから人生を失っていく者への挽歌であった。胸に迫るものがあった。実際に父親が痴呆になる、とか、実親のように接してくれたおばさんがあぶない、とか、ヘロインしかこの先生きのこるすべがない、というような状況は、当事者にならないとわからない、そういうありふれた状況であっても観念的に知っているのと、当事者として体験するのでは、全く違う現象なのだな、と気づいた。気づいたときにはすでに遅いのだが、遅くなる前に気づくことも可能ではないだろう。



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