2.02.2015

「夜と霧」を読みましたよ!

2015-01-29
夜と霧を読了した。星4.0つ。night and fogを意味する原題なのかな、と思ったら全然違った。原題を邦訳すると「それでも人生に然りと言う: ある心理学者、強制収容所を体験する」であるとインターネットに書いてあった。邦題もなかなか暗喩が効いていて良いが「それでも人生に然りと言う」のが本書の肝である。
強制収容所のおぞましい生活であっても「それでも然りと言う」ときに「生きるとはなにか」という普遍的な問へのひとつの答えが見える。こういうストレートな問と答というのはなかなか見れるものではない。



収容所の外の出来事も人間もふつうの生活も、収容所にいる者には、なにもかもがどこか幽霊じみた、非現実なものに思えてくる。ちらとでも外を垣間見ることができたときには、外の生活は被収容者の目に、まるで死者が「彼岸」から此岸をながめおろしているかのように映る。


ホロコースト、強制収容所なのだから全体的に暗い雰囲気で覆われてるのかというとそうではなく、ときにはユーモアさえ混ざる。読んでいると声を出して笑うことすらあった。
小説でも学術書でもなく、手記という感じ。そして単なる医者として被収容者の心理を追った手記ではなく、人類的宗教的思想的な高みに達する感がある。



人間として破綻した人の強制収容所における内面生活は、追憶をこととするようになる。未来の目的によりどころをもたないからだ。


手を伸ばせばそこにはオレオという名の黒いビスケットサンドがいくらでも安価に手に入り、生存には食料ではなく減量が必要で、ニトリで買ってきた安くて座り心地の良いイスに座ってGTA5で歩行者をはね殺す自由と時間と余裕があり、電話機を使って安全地帯から一方的に為政者を非難(あるいは一方的に為政者を非難する人を非難することも)でき、冷暖房のきいた部屋でボタンひとつでクライバーのベートーヴェンが再生され、もう一度ボタンを押せば瞬時にノラ・ジョーンズに切り替わる。SNSでいいね!と承認欲求を満たしあい、デタラメとおざなりなテンプレートのおためごかしに終始する「今風の」「洗練」。「今風の」「洗練」によって達成された社会には、電通的博報堂的商業主義の堅固な鎧の前には、そしてボタンひとつでノラ・ジョーンズが再生され無価値な投稿にいいね!がつく豊かな状況にあってもなお不満足を旨とする人間の本質のという鎧の前には、もはやフランクル先生の名著でさえ貫通することはできない、という不幸。フランクル先生のヒューマニティよりも誰かが誰かとレストランでワインで肉を食べた投稿に価値があるのだ。そしてそこはかとなく漂ってくるスラックティヴィズム…。
とはいえ、作中のディテールがビビッドに感じられるよりも、フランクル先生の真のヒューマニティが胸に迫ってしまうよりも、どこかで誰かが誰かと飲んだ知らない銘柄の酒瓶の(電話機で撮ったノイジーな)写真にいいね!を押して鈍麻を謳歌するほうがましであるのは間違いない。


わたしは詩人の言葉を引用した。「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。


ページ分量は多くなく、短時間で読めてしまうが、値段が高い。
また、イワン・デニーソヴィチの一日という星5つ級の超絶☆名著もあり、(比較対象にはならないけれど)比較をしてしまうと個人的にはソルジェニーツィンの方が好み。とはいえ、どちらも必読であるのでどちらを読むかではなく、どちらを先に読むか、という話である。




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